見るべきなのは子どもじゃなくて親-「ホートン 不思議な世界のダレダーレ」

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ジャングルに暮らす想像力が豊かな象のホートン(ジム・キャリー)は、ある日突然助けを求める声を聞くが、それはほこりの中にある小さな国“ダレダーレ国 ”から聞こえてくる声だった。ホートンはそのことを信じないほかの動物から笑われながらも、ダレダーレの国の住人たちを安全な場所へと連れて行くため、冒険の旅に出る。


まずは、イームズ夫妻の名作「Powers of Ten」をどうぞ(日本語字幕付)。


こんな風にミクロの世界をのぞいてみたらそこにはダレダーレの国があった、というお話。


映画には2人の子どもが登場する。

1人はホートンと友情を結ぶことになるダレダーレ国の市長の1人息子ジョージョー。市長は息子に自分の跡を継いでくれることを望んでいるが、彼は市長の仕事よりもやりたい事がある。しかしそれを言うと父ががっかりしそうで言い出せない内気な少年。

もう1人は(一方的に)ホートンの敵となるカンガルーお母さんの息子。頑固な教育ママであるカンガルーは、ホートンの話は戯言であり「子どもに悪影響を与える」と信じきってる自分原理主義者。息子は袋から出て外で遊びたいし、ホートンの不思議な話にも興味津々だが、怖い母の言いつけに逆らえずいつも袋の中でじっとしている。


市長もカンガルーのお母さんも子どもを愛してはいる。しかしその愛は独りよがりで本当に子どものことを考えてるとは言い難い。特にカンガルーは悪質で、ホートンを妨害する際にジャングルの仲間に向かってこう言う。

「子ども達のために(ホートンを捕まえろ)!」

しかし当の子どもはそんな親を信頼できないでいる。


ここで、ヨシキ所長のブログより抜粋。

ぼくは別に病的な子ども嫌いというわけではないが、子どもをダシに自分たちの要求を通そうとする勢力(そして、それはたいがい成功してしまう)には吐き気をおぼえる。映画でもテレビでも、アニメでもゲームでも何でもいいが、いったん「俗悪」のレッテルを貼られると、次に来るのはきまって「子どもに悪影響が云々」の大合唱だ。

輝けるお子様の未来のための狂詩曲 - Lucifer Rising


↑全面的に肯定します。


このカンガルーのお母さんは最近流行の「モンスター・ペアレント」(以下、モンペ)を彷彿とさせる。

モンスターペアレントの相手してたけど何か質問ある?-働くモノニュース

↑この中にも、モンペの子どもが結果的にイジメに合うという話が載ってて悲しくなった。子どもを愛してるがゆえの発言が結果的に子どもを追いつめている。


自分の場合、来年から娘が小学生になるんでそういう立場で観てたら色々考えさせられた。ホートンは言う。

「どんなに小さくても、人は人だ」

どんなに小さくても子どもだって自分の意志を持ってるのだ。100%子どもが好きなようにさせる、とは言わないけども、子ども自身の意見を聞こうともせずに自らのエゴをぶつけるだけの親にはなりたくない。


映画の終盤、子ども達は自分達の殻を破ってそれぞれの方法で活躍しこの騒動に決着をつける。これがなかなか感動的だった。子ども向けの映画であることは否定しないけど、できれば当のモンペ自身に見て欲しい。でも本人に「その自覚がない」んじゃ無理なのかなぁ。


その他
・子ども達は原作にも登場するが、性格についての記述は特にないので映画のオリジナル。USにもモンペって多そうだね。
・「シンプソンズ」で懲りたのか、日本語吹替えはプロの声優さんが起用されているので違和感はなし。
・初日に見ましたがガラガラでした...。これを「芸能人を吹替えに使って話題作りしなかったから」とか判断されたらイヤだなぁ。
・劇場(ワーナーマイカルシネマズ港北ニュータウン)では売店で原作絵本も販売されてなかった。やる気が感じられない。


(参考)
ドクター・スースの世界-THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE