「JUNO/ジュノ」における「妊娠」の描き方について

いつも見させていただいている「人喰い映画祭」で、

わたしがいつも「映画の見方がうまいなあ」と思って愛読しているサイトの人たち

と書いていただいて嬉しくて小躍りしてました。お返しですが「人喰い映画祭」のトップ画像は最高にかっちょいいです(特になまはげが)。

『JUNO』は評価が高いみたいだけど、ガキが赤ん坊を産み捨てする映画だよね? フィクションだからべつにいいけど、娘を持つ親父としては、そういうものをハッピーエンドとして描いているのには共感できないです。
(中略)
これがわからない。いや、彼らの評価を批判するつもりはまったくないです。ただ、わからんのです。わたしは何か重大な点を見落としているのでしょうか。

■2008年上半期 劇場で観た映画ランキング | 人喰い映画祭


ということで、この件について私なりの解答です(最初はコメントしようとしたけど、全然まとまらなかった)。

まず、「ガキが赤ん坊を産み捨てする」と書かれているのは、要約すると「まるでモノやペットのように子どもをあげるなんて!」「生命をなんだと思ってるんだ!」というニュアンスだと受け取りました。違っていたらすいません。


1つは、この映画のテーマはあくまでも「少女の成長物語」であり、「妊娠」はそのきっかけに過ぎない、ということ。脚本を書いたディアブロ・コディはインタビューでこう言ってます。

メディアでは妊娠ばかりが大きく取り上げられたが、コディいわく「この映画の本当のテーマは10代の妊娠ではない」のだという。「確かに妊娠は劇中で起こる事件なわけだけど、この映画は人間関係や様々な形の愛、いろんな種類の家族について描いているのよ。私はただ、楽観的でポジティブな映画が書きたかったの」と彼女は説明した。

http://www.mtvjapan.com/news/cinema/news_cinema_detail.php?movie_news_id=979


もう1つは、かなり個人的な推論ですが、「妊娠→自身で育てられない→堕胎はちょっと抵抗がある→生んで子どもが欲しい夫婦にあげる→おしまい」というジュノの選択した行為は「それでもいいじゃないか」という、多くの女性にとっての本音なのでは?ということ。

私は「出産」に対して女性は男性よりもずっと自由な考えを持っていて、「女性に母性を持っていて欲しい」というのは男性のエゴなんじゃないか?と思ってます。そういう私も映画の後半には母性が芽生えたジュノが「(子どもを)手放したくない」と言い出すんじゃないか、(またはそう思って欲しい)と少し思ってました(実際そういう前振りもあった)。結局そうはなりませんでしたが。

余談ですけど、ブリジット・バルドーはあまり望まなかった出産をした際に医者に「ソレを早くあっちに持って行って!」と言ったそうです。女性が子どもを産むとオマケのように「母性」がついてくるわけではないようです。まぁ、この人の場合は根っからの「変人」でもありますが。


「高校生が妊娠」という映画の中では極めてありきたりなシチュエーションに対して、必要以上に生命の尊厳や母性を強調してシリアスにするのではなく、若干カジュアルではあるものの「こういう選択肢があってもいいんじゃない?」という女性による本音が反映されているのかなーと思いました(あくまで推測)。


話はややそれますが、映画「JUNO/ジュノ」とマンガ「ソウル・フラワー・トレイン」(080624)に共通していたのは、自分の娘の選択(あまり世間一般では認められない行為)に対して、父親がそれを「100%肯定」して「頑張れ」と言ったことでした。個人的に感動したのはこの部分です。例え理解できなくても娘が考えた末に出した結論なのであれば、私も「頑張れ」と言ってあげたい。


再びコディのインタビューから。

ジュノの両親は、私の両親を基にしてるわ。彼らは凄く私に対し愛情深く、いつもサポートしてくれてるの。

http://entertainment.aol.co.jp/movie/juno/interview.html

コディは脚本を書く前にストリッパーをやったり、テレフォン・セックス・オペレーターといった仕事をしていたそうです。それらを恥じたり隠す事をしない、そんな彼女をご両親はそのまま認めてくれたそうです。いい話だ(泣)。


それはそれとして妊婦がシートベルトなしで車を運転するのはどうかと思った。アレはダメ。お父さん怒ります。


まとまったのか、まとまらなかったのかよく分かりませんがこんな感じでいかがでしょう?


ソウル・フラワー・トレイン (BEAM COMIX)

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