ノーカントリー
アメリカの荒涼たる西部、テキサスの町でひとりの男が麻薬密売にからんだ大金を発見し持ち去ることで、その危険な金を巡り謎の殺し屋や警察が動き出す。追う者と追われる者。彼らの行く先々には無数の死体が転がり、荒野は血の海に染まる──。
「ノーカントリー」鑑賞。エンドクレジットが流れた時に、劇場で「えっ?」と言った人がいましたが、確かに「これでおしまいなの?」という所で終わっちゃうんですよね。そういう一筋縄でいかない所がコーエン兄弟らしいと言えなくはないんでしょうけど、私も「えっ?」と思いました。そこで観賞後、少ない脳みそを駆使して色々考えてみた。
殺し屋シガーが象徴しているのが「暴力そのもの」とする。その「暴力」は一応ある「ルール」に乗っ取って執行されているが、それは「コインの裏表をはずした」といった、他人にとっては「身勝手極まりないルール」。「裏切ったから」というある意味まっとうな理由で殺す場合もあるが、「邪魔だったから」という理由がほとんど。
では「殺人依存症」なのかというと「コイン投げに勝った人」などは殺さないことから、そうとは考えにくい。「殺しそのものが快感」というわけではなさそう。
ラスト近く、「殺す必要がない」人物にコインの裏表を当てるように求めるシガー。しかし相手はそれを拒否し「自分で決めろ」という。これまである意味機械的に殺人を繰り返してきたシガーがここで初めて悩む(ように見える)。「どうしたいのか」が自分でも分からないのだ。
暴力には本来明確な理由があったはず。金が欲しかったから、相手が憎かったから等。しかし現在の世界で起きている暴力にはその理由が希薄なように見える。「ファーゴ」でも「たったそれだけのこと」で延々殺し続ける男がいた。「殺しが好きだ」という理由の方がまだ納得できる程の不条理。
昨日の「魔法にかけられて」に続いて「ザ・ワールド・イズ・マイン」から引用。
理由なき殺人を繰り返すトシモンにマリアが問う。
オメたち、何が欲しい?
饒舌に自身の「殺人論」を語っていたトシはこの簡単な問いに答えられない。自分でも何がしたいのか分からないのだ。
「ファーゴ」に登場する女性警官は最後に「見方を変えればこの世の中はまだまだ素晴らしい」といったようなことを語る(ごめん、うろ覚え)。しかし「ノーカントリー」の保安官トミー・リー・ジョーンズはまた別の行動を取る。これが「ファーゴ」の時代(1996年)と現代との差によるものかは分からないが、現代社会に蔓延する「暴力」(「戦争」も含まれる)はより悪い方に悪い方に進んでいるように思われる。
と、こんな感じにこじつけてみましたがどうでしょう?
それよりもレザー・フェイスやジョン・ライダー(「ヒッチャー」)に続いてテキサスという土地が生んだ新たな殺人鬼「シガー」の登場を素直に楽しめばいいのかもしれません。
個人的には前半の行き詰まる追跡劇を最後まで見たかったというのが本音ですが...。
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