ミッフィーのおばあちゃん

前回も(よく考えたら前々回も)「死」について書きましたが、今回はこちら。

少し前に曾祖母が亡くなった。享年102歳。俺を含む親類縁者に見守られ、自宅の寝室で眠るように逝った。今時珍しい大往生だったと言えるだろう。通夜、葬儀と滞りなく終わったが、問題はその後だった。火葬場での出来事だ。

祖母のお骨を骨壺に収める際、何を思ったが従姉(お袋の姉の娘)が娘(小学一年生・俺からみれば「従姪」)をその場に立ち会わせたのだ。

こりゃPTSDになったかもなあ


こんなエントリが話題になっていたそうです。ウチも6歳の娘がいるのでちょっと考えさせられました。


自分だったら...、亡くなったのが生前親交が深かったおじいちゃんやおばあちゃんとかだったら、本人に直球で聞いてみるかもしれない。その上で「最後のお別れ」として立ち会いたいなら立ち会わせる。「分からない」とかだったら立ち会わせない、かな。まぁ実際はその時にならないと分からないけど。


それはともかく思い出したのがこちらの絵本。


ミッフィーのおばあちゃん (ブルーナのおはなし文庫)

ミッフィーのおばあちゃん (ブルーナのおはなし文庫)

大好きなおばあちゃんが死んでしまいました。ミッフィーは、悲しくて悲しくて…。ミッフィーの目を通して、「死」を子どもにやさしく伝える絵本です。


近親者の「死」の悲しみと、それを受け入れることを子どもに教えるために描かれた絵本で、初めて読んだときはかなり驚きました。子どもに対しては、言葉で説明するよりもこういう絵本を介して話をすることが望ましいんじゃないですかね?


うちの娘は今のところ未経験だけど、もし入院とかすることになったら「うさこちゃんのにゅういん」とかを読ませたい。友達が重い病気にかかったら「チャーリー・ブラウンなぜなんだい?」かな(これもそうとう重い話だが...)。


チャーリー・ブラウンなぜなんだい?―ともだちがおもい病気になったとき

チャーリー・ブラウンなぜなんだい?―ともだちがおもい病気になったとき


(参考)
私はもしかしたら立ち合わせるかも知れない-子持ちししゃもといっしょ

子どもにどこまで“死”を見せるか-北沢かえるの働けば自由になる日記

愛と追憶のうさぎ-独立幻野党