ピッキー・ピクニック / Cynical Hysteria World

製作 PANICレコード
製作年月日 1986年

●「ファンファーレ」
(演奏・PICKY PICNIC)
●「どんぐり行進曲」
(うた・玖保キリコ 演奏・PICKY PICNIC)
●「IT’S A HYSTERICAL PLACE」
(演奏・PICKY PICNIC)
●「TSUNTA PUNK」
(うたと演奏・PICKY PICNIC)
●「びょうき」
(うた・玖保キリコ 演奏・PICKY PICNIC)
●「トリップ・サンドイッチ」
(うた・玖保キリコ 演奏・PICKY PICNIC 
ナレーション・玖保キリコ&CHARLIE CHARLES)
●「GO GO TWINS」
(うた・玖保キリコ 演奏・PICKY PICNIC)
●「(仮)放課後」
(テーマ演奏・玖保キリコ

2枚組SPレコード「Cynical Hysteria World」


そして玖保キリコさんといえば、ピッキー・ピクニック!

「クタビレタQ」も好きだったけど、やっぱり「Cynical Hysteria World」。自主制作で作られた「シニカル・ヒステリー・アワー」のサントラ的なレコードで7”EPの2枚組。通信販売(インターネット?何それ?)で購入したよ。その10年後くらいにキリコさんに会う機会があって、レコードの話をしたら「アレ、自分達で梱包も発送もしたのよ〜」とうれしそうに仰ってた。


キリコさんがこのレコードを作ることになった経緯は「キリコのコリクツ」というエッセイ集に書かれている。

そもそもの発端は二年前、一人のイギリス人が日本にやってきたことから始まる。
(中略)
玖保はそのとき、『ララ』に描いている『シニカル・ヒステリー・アワー』に、ツン太という少年が隠れパンクである、という話を描こうとしていて、パンクの歴史とパンクという言葉は集合名詞として、使われているのかどうか、ということを調べる必要があった。
そこで思い出したのが、音楽に詳しいSのことであった。
玖保はSに電話をし、何度目かの電話で、二人の間に
「シニカルのレコードを作るとおもしろいんじゃないか」
という話が出た。
話は出たものの、結局、何もしないまま、一年以上が過ぎていった。


ある日、Sが玖保に、
「ピッキー・ピクニックという男の子たちの作る音は、シニカルと似ているから、彼らと組んで、やるのもいいんじゃないか」
とピッキー・ピクニックに会うことを勧めた。
会ってみると、話はどんどんまとまり、五ヶ月後には、レコーディングが終了していた。
しかも、玖保はピッキー・ピクニックのメンバーの一人になっていた。


今、私はそのピッキー・ピクニックのメンバーとしてロンドンに来ている。夏休みを使って、西ドイツの自主レーベル、アタ・タックに遊びに行くにあたって、まず、英語圏のイギリスから入って、ヨーロッパに慣れようという計画だ。

http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/tushin/1986_08.html#06


何だか不思議でいい話だ。当時「本気で手作りする大人」にすごく憧れた。こういう音楽ってもう生まれないのかねぇ?


(参考)
COCONUTSDISK KICHIJOJI-ピッキーピクニックとこどもニューウェイブ特集