キヨシローと子ども

キヨシローのインタビューから一部抜粋。

――反骨のロック人生にも重大な危機があったとか


「17年前、カミさんが妊娠した時。
本当に焦った焦った。
子持ちのロックンロールがイメージできなかった。
オヤジになった忌野清志郎が想像できなくて。
絶対これはやばいなと。
生まれたら、
もうロックなんかできないと本気で思ってました。
どんどんおなかがふくれてくるし、
もうどうしたらいいんだと必死に考えました」。


――結論は


「生まれたことをひた隠しにする(笑い)。
それで生まれるまでに思い切りたくさん曲を作る。
それを年に1、2枚小出しにして、食いつなぐ(笑い)。
本気で思ってました。
1カ月間ほとんど寝ないでスタジオにこもり、
40曲ぐらい作りましたもん」。


――誕生後は


「こんなにかわいいものが
世の中にあったのかって(笑い)。
隠すどころか、
かわいいんだと自慢したくてしょうがなかった。
仕事場にも連れていきました。
子連れ狼(おおかみ)みたいに
ベビーカーをガラガラ押して。

子供にはいろいろ教えられました。
好きなことはやるけど、嫌なことは泣いてやらない。
バンドが解散したり、レコード会社ともめたり、
社会や人間の嫌なものをだいぶ見てきたけど、
こいつは何て自由なんだと。
価値観が変わりました。

音楽への影響?
ロックの危機ってことはなかったなあ。
一体あの焦りは何だったんでしょうね」。

http://blog.oricon.co.jp/koso-rock/archive/316/0#BlogEntryExtend

――自分が死ぬということは考えますか?
――それともいつ死んでもいいような感じがするとか。


「うん…子供できるとそういう感じになりますよ。
竜平ちゃんももう6歳だし、
モモちゃんも3歳だからもういいかっていう…」


――もういいか(笑)。


「いつ死んでも大丈夫だな…みたいな」

(中略)
「オレも死にたくないよ(笑)。
でも、死んだとしてもまあいいかなっていう感じは…。
竜平くんとか生きてれば。
俺だけ死ぬんならまあいいかなという…」

忌野清志郎�I / 子どもが生きててくれれば、自分は死んでもいい-子育てロック

毎日毎日 きみのもとに
ぼくは帰るよ
ぼくとふたり 暮らしておくれよ
きっと幸福になろう
ふたりでそれを 手に入れて
みんなに自慢したいよ

ぼくは ぼくは自慢したいよ
君のこと ぼくと君のことを
みんなに みんなに町中の人に
もっと自慢したいよ

何も なんにもいらないから
君を自慢したいよ
町中に 国中に 世界中の人に
君のことを自慢したいよ


世界中の人に自慢したいよ - 忌野清志郎


(泣)。


世界中の人に自慢したいよ

世界中の人に自慢したいよ