ジョアン・ジルベルトについて


11/3、横浜でジョアン・ジルベルトのコンサート。チケットを取った嫁さんは前日からそわそわしていた。


以前もちょっと書いたけど、我が家はボサノヴァブーム中で、一日中ブラジル音楽が流れている。そのボサノヴァを作った男がジョアン・ジルベルトボサノヴァの神様だが、かなり変わり者だとは噂で聞いていた。


2003年に行われた日本で初めてのコンサートは伝説になっている。この時点で72歳だったこともあり、「これが最初で最後」と思ったファンが全国から駆けつけた。9月でまだ暑かったが、ジョアンの意向でで会場の空調は切られている。それでもファンはがまんして待ち、開演時間の17時になった。しかし始まらない。そこにアナウンス。


「まだアーティストは会場に到着していません」


ジョアンのコンサートが定刻に始まることはまずないらしい。その理由は定かでないが、その昔カーネギーホールでのコンサートの時は「ズボンがプレスされていない」という理由で始められずに、スタッフがアイロンを探し出して2時間遅れで始まったことがあるらしい。


だからファンは黙って待った。18時になってようやくコンサートが始まった。「ボサノヴァの神様に失礼があってはいけない」と皆が思っていたのかは知らないが、演奏中は物音一つたてずに集中し、1曲終わるごとに拍手喝采したという。この観客の態度にジョアンは感激し、アンコールを行い観客に対して「拍手をした」そうだ。ジョアンを知る人にとってこれは「ありえない」行動らしい。


そして突然ステージ上でジョアンは動かなくなった。


「眠ってるんじゃないか?」「具合が悪いんじゃないか?」「いや、もしかして...」と困惑しながら観客は拍手を続ける。客の中には怒って帰った人もいたらしい。


そして20分後に演奏再開。


この間に何があったのか?

彼がふたたび動きだしてから、
マイクに向かって喋ったんです。
それもあの人の中ではあり得ないことなんです。
中原仁さんと国安真奈さんっていう
ブラジル音楽にたいへん詳しいかたのHPにも
書いてあるんだけど、彼がそのとき何て言ったか。
そこがもう、奇跡的な出来事で、直訳すると
「ごめんなさい、あなたたちの手と
 あなたたちの心を見てたので」。
その国安さんっていうのは
ネイティブのポルトガル語をしゃべる人で、
彼女の意訳によると
「ごめんなさい。あなたたちの真心が見えるものだから」
っていうことなんだそうです。
「ありがとう、ジャポン」って。
だからポルトガル語が分かる人にとっては、
もう、気絶するようなセリフだったみたい。
ジョアン・ジルベルト
 自分の思ってることを観客に言うなんて、
 そんな感謝の気持ちを込めるなんてことは、
 絶対にあり得なかったことだ」って。

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このコンサートの後、彼はこうコメントしたという。

「日本のオーディエンス(聴衆)は最高だ。こういうオーディエンスを何十年も捜し求めていた」


そして彼は高齢にもかかわらず、2004年と2006年にも日本でコンサートを行った。2006年のコンサートのタイトルは「最後の奇跡」。


そして「ボサノヴァ生誕50周年」の2008年に、再び日本でのコンサート。神様の歌と演奏が見られる...ハズだった。


突然プロモーターから電話。


「今回のコンサートはアーティストの都合で中止になりました。チケットは払い戻しになります」
(東京公演は12月に延期になったが、横浜だけは中止になった)


前回「最後の奇跡」なんてタイトルつけるから....。



(参考)
ジョアン・ジルベルト東京公演延期、横浜公演中止のお知らせ

ジョアン・ジルベルト 2003横浜公演-D.U.B. Web Site

ボサノバをつくった男-ほぼ日刊イトイ新聞