幸せの白い布-「ホッタラケの島-遥と魔法の鏡-」
16歳の遥は幼くして母親を亡くし、父親と二人で暮らしているが、最近は父とも口げんかばかりしていた。ある日、彼女は母親の形見の大事な手鏡をなくしてしまい、こっそり神社に願掛けに行く。そこにひょっこりとキツネのお面をかぶったテオが現れ、人がほったらかしにしたものをこっそり運び出すのを発見した彼女は、その後を追いかけて見知らぬ島へとたどり着き……。
珍しく娘からのリクエストで「ホッタラケの島」を観に行きました。
「ボルト」の時は平然としてる娘に対して私だけが号泣してしまい何ともかっこ悪かったのですが、今回は逆転。娘は号泣してたが私は泣かなかった。なぜならストーリーとは別のことが気になって仕方なかったから。
それは「パンツが見えそう」だったから。
主人公の遥は最初から最後までずーっと制服のミニスカートなんだが、これがエロいのよ。ホッタラケの島に行ってからは高い所から落ちたりするシーンが多くておっちゃんその都度ドキドキ。「でも見えそうだけど見えないんだよなー」と思っていたら後半バンバン見えてきたんでさらにドキドキ。しかも男爵に捕まって腕を拘束されて無理矢理とあるモノを飲ませるシーンなんてほとんど美少女陵辱モノですよ。
「時をかける少女」を超える「パンツ映画」の金字塔としてオススメします。
...と、ここで終わってもいいんですが、もうちょっと補足。
さて、『ホッタラケの島』だが、展開がスピーディーな為か、説明不足な部分と強引に感じる設定が入り交じっていて、首を傾げるところが多かった。
設定にホッタラケが多い『ホッタラケの島』 - くりごはんが嫌い
全面的にこちらに同意。とにかく説明不足というか、各キャラの行動原理がさっぱり分からない。遥はなぜあそこまでして手鏡を取り戻したいのか?男爵はなぜあの手鏡にこだわるのか?(誰かに別の鏡を取ってこさせればいいんじゃないの?)。テオが「男爵は何かとんでもないことを企んでる」と思ったきっかけも?だし、遥が行く場所にたまたまコットンがいたのもご都合主義過ぎる。
で、やっぱり気になったのがこちらの書き込み。
ここで投入されたのが、スケジュール進行の鬼、アニメーションプロデューサーです。彼はスタッフ全員を敵に回し、まずストーリーを90分に削る作業を行いました。ここで、実は映画の伏線がそぎ落とされてしまいました。キャラクター設定も変更が行われました。そうしないと映画の完成が遅れてしまうのは明白でした。これはスタッフ誰もが同じ思いで行った辛い決断でした。
映画関係論 - 映画製作現場の裏側より
8/10に書き込まれていたこのエントリは現在は削除されているので補足すると、映画製作中にプロデューサーの鶴の一声で「フジテレビ50周年記念作品」に格上げになった。その結果、公開日が大幅に繰り上がってしまい製作が間に合わなくなったらしい。
ここに書かれていたことがどこまで真実かは分からないけど、確かにできあがった映画には「本来あったはずの伏線が割愛された」ような印象を受けました。「本来ならこうなるハズ」だったのがどのようなものか気になるトコロ。
とにもかくにも、出来上がった映画は私にとってはあまり面白くはなかった。遥の性格がフツーすぎて薄っぺらで共感できない。やはり「性格に難あり」の主人公が、病むに病まれぬ事情で手鏡を探し、その過程で人間的な成長をして、鏡に込められた母親の想いを受け止める。この方が盛り上がると思うけどなー。
以下、私が考えた「ホッタラケ」。
遥は今時のイケイケ女子高生。小さい時に死んだおばあちゃんからもらった手鏡を大事にしていたが、今ではその存在すら忘れてしまっている。たまたま神社でテオ(ケチなコソドロ)を見つけ、追いかけてホッタラケの島へ。そこは「モノにこめられた想いが強いものに価値がある」世界。遥の手鏡はその世界で素晴らしい価値があることを知ったテオと共に、遥は「元の世界に戻す」ことを条件に一緒に手鏡を探すことに。
最初は別々の思惑で行動する2人だったが徐々に友情が芽生え、最後には手鏡を奪ってこの世界を乗っ取ろうとする男爵に共に立ち向かう。その過程で遥はその鏡に込められたおばあちゃんの想いを知る。手鏡を手に入れたテオだったが「このお宝はオレのポケットには大き過ぎるな」と言って遥に返す。人間的に成長した遥はもうホッタラケにはしないよ、と誓って人間世界に戻る。
テキトーに書いてみたけど、どうでしょーか?
(関連)
↓私以上にパンツにこだわった方がいた(笑)
ピクサーやドリームワークスが手をつけていない未開の地。それが「パンツ」。
ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜 [監督:佐藤信介] - 自主映画制作工房Stud!o Yunfat 改め ALIQOUI film 映評のページ