キャラ付けと必然性 - 『怪盗グルーの月泥棒 3D』

史上最大級の泥棒を企てている嫌味な怪盗グルー。バナナでできた仲間のミニオンたちと共に、秘密基地のある家に住んでいた。月泥棒を企てるグルーたちだったが、ライバルの泥棒に大事な秘密兵器を盗まれてしまう。そこでライバルの家に出入りする孤児の3姉妹を利用しようとしたグルーだったが、なぜか3姉妹と共同生活を送ることとなり……。


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娘と観に行きました。結論から先に言うと私はあまり楽しめませんでした。ビミョーにネタバレ含みます。


意地悪で堅物な男が女の子との交流を経て次第に変わっていく、という基本プロット自体は珍しくもないし、これはこれでいい。私がイヤだったのは、各キャラクターのキャラ付けがいいかげんで、かつそれぞれの心の変化が訪れる決定的な理由や出来事がテキトーなところだ。


例えば、グルーの相棒にあたるネファリオ博士は月を盗むために子供達を追い出した張本人であるくせに、その直後にグルーと共に子供たちを救おうとする。画面的には盛り上がるシーンなんだけど、「ちょっとまてよ!」と納得いかなかった。例えば「追い出した後になって子どもからの手紙を見つけて後悔する」みたいな前振りはやはり欲しい。


そもそもグルーが月にこだわる理由も弱過ぎる。「子供のころから月に行くのが夢だった」的な回想シーンはあるけれど、それならば月に行けばいいだけで盗む必要はない。「どうしても月が必要」であることと、「子どもたちとの生活(もしくは命)」を天秤にかける究極の選択状況というのがないので、あまり心が動かない。だってバレエ発表会だよ?子どもの発表会に大事な仕事で行けないなんて、一般人だってよくあることだよ。


グルーの母親も謎。息子とは確執があるんだか、仲良しなんだかよく分からない。無口な彼女が決定的な場面でグルーを悟らせるようなセリフ(「月を盗めるヤツは他にもいるけど、あの子たちを救えるのはお前だけだ」とかさ)を言うとか、そういう位置づけにすべきなんじゃないの?


悪役ベクターもバカなんだか利口なんだかよく分からない。後半に判明するあるキャラとの親子関係も「だから何?」って感じ。これが偉大な父親に認めて欲しく躍起になってる息子とかならぐっと面白くなると思う。そしてこの父親が月と息子を天秤にかけて、あっさり息子を見捨てるとかすりゃいいじゃん。そこから「何事にも替え難い子どものへの愛」みたいなテーマにも繋げられるしさ。


まだまだ続くが、3姉妹に関しても言いたい。キャラクター分けはしっかりできてるのはいいんだけど、グルーに追い出された後の絶望感描写がほとんどないのはダメ。しっかり者で妹想いのお姉ちゃんは、どんなに辛くても自分だけは泣かないと決めていたのに、ここでついに嗚咽をもらして泣いちゃうとかさ。もっともっと面白くできたハズなんだよ。


あと、子どもを救いに行くグルーが急に無敵になるという演出も嫌いだ。あそこでは苦労して苦労して、それでも進み続ける演出の方が好ましいと思う。


持論だけど、実写ならいざ知らず、アニメーションには一挙手一投足だけでなく瞬き1つにも全て意味を持たせるべきだと思う。ただ怒るんじゃなくて、一瞬別のことを考えてそっちに気持ちが行きつつはっと気がついてやっぱり怒る、とかさ。それができるのがアニメーションなんじゃないの?


けなし過ぎたので、最後にいい所を。黄色いちっちゃいの(名前忘れた)はかわいかった。以上。


(その他)
・グルーは黄色いちっちゃいのをそれぞれ名前で呼んでかわいがってる風なんだけど、宇宙に飛んで行ったヤツはほっとくんだよね。(まだ悪口言うか)
・娘さんは「関西弁が面白かった」と言ってました。