マダム・タッソーの血塗られた伝説

お台場の蝋人形館「マダム・タッソー東京」に行って来ました。正直、そこまで期待してたわけではなかったんだけど、実際行ってみたら娘さんがノリノリで写真撮りまくって相当楽しめました。

 

↓こんな写真がたくさん撮れます

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https://instagram.com/p/3VpfiBA1hD/

 

↓本物にしか見えない精巧さ

https://instagram.com/p/3Y1ef-A1n2/

 

 

マダム・タッソー東京」にはたくさんの映画スターの蝋人形があったけど、実はマダム・タッソー自身の生涯が映画化できるくらい凄まじいものだったのでかんたんにまとめてみました(事実かどうか怪しい部分もあり)。

 

 

↓こちらが「マダム・タッソー東京」に展示されているマダム・タッソー自身の蝋人形。なんか持ってるよ!

https://instagram.com/p/3VKVLtA1kX/

 

 

1761年、マダム・タッソー(本名マリー・グロショルツ)誕生。母親が家政婦として仕えていた医者に幼い頃から蝋人形の制作を学び、17歳にして一人で蝋人形を作れるまで成長。そのスキルは評判を呼び、国王ルイ16世マリー・アントワネットの夫)の妹エリザベート王女に気に入られ、ヴェルサイユ宮殿に住み込みの家庭教師となる。

 

 

10年近く宮殿で暮らすが、フランス革命が起きてパリに戻り、そこで「革命で死んだ有名人の蝋人形を作る」ようになる。つまり、懇意にしてもらっていたエリザベート王女やマリー・アントワネットがギロチンで処刑され、その生首を使ってデスマスクを作っていたのだ。

 

 

↓こちらがそのデスマスク

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この時にマリーは「実際よりも血の量を増やしたり、人々がより見たい姿に改変」したという。つまり解剖学的な蝋人形を、下世話で見世物的なエンターテインメントとしてステップアップさせたという事だ。現在のスプラッターホラー映画などの源流がここにあるといってもいい。

 

 

しかし、王族と親しかったことからマリー自身も投獄され、もう少しでギロチン処刑されるところだったが、その蝋人形制作スキルを買われ、ギリギリで生き残った模様(このあたりは眉唾ではある)。

 

 

その後結婚するもダンナ(フランソワ・タッソー)がギャンブル好きなダメ人間だったので、財産すっからかんになり、止むを得ずパリに幼い次男を残したままイギリスに渡り、サーカス団と各地を蝋人形展示巡回ツアーを行う。当初は金ができたら帰るつもりだったのに、30年以上各地を転々として結局パリに戻ることはなかった。

 

 

そんなこんなで74歳になったマリーはようやく巡業の旅を終え、離れて暮らしていた次男を呼び寄せて、シャーロック・ホームズで有名なベーカー街に「マダム・タッソー館」を設立し大成功を収める。今では世界中に支店を持つようになりロンドンで最も有名な観光地の一つとなりましたとさ。めでたしめでたし。

 

 

 ↓マダム・タッソーについて書かれた本のトレイラー 映画化、絶対受けると思うよ


Madame Tussaud Trailer - YouTube

 

 

(参考)

www.madametussauds.com

www.japanjournals.com

 

マリー・アントワネット (通常版) [DVD]

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