ジャンルを拒否する映画-『板尾創路の脱獄王』


昭和初期の信州第二刑務所。そこに、拘置所を2度も脱走したいわくつきの囚人、鈴木雅之板尾創路)が移送されてくる。簡単には脱獄できないはずの信州第二刑務所を、鈴木は1時間もたたないうちに脱獄。その後、刑務所近くの線路沿いで身柄を取り押さえられた鈴木だったが、看守長の金村(國村隼)はそんな彼に興味を持ち始める。


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渋谷で急に3時間程時間をつぶすことになったので、慌てず騒がずiPhoneの「Now Playing」(20091204)で検索。本当は『Dr.パルナサスの鏡』が観たかったけど、渋谷ではやっていなかったので、ちょうどいい時間にやってた『板尾創路の脱獄王』を観ることに。


そんなわけで「確か脱獄する話なんだよね?」程度の知識で観ましたが、その為なのか途中かなり混乱させられました。


過去の脱獄映画のほとんどがそうだったように「最後にはスカッとできるアクション映画」を想定していたのに、まず脱獄する理由が分からない。板尾演じる主人公は脱獄しても、その都度わざと捕まるので「逃げる」為に脱獄をしているわけではないらしい。この「謎」が映画のキーになっていてミステリー的な要素もかなり大きいことが分かる。


かと、思ったら中盤から看守の暴力がエスカレートしてきて、かなりリアルな拷問シーンが延々と続く。痛めつけられた傷口にウジがわく等グロシーンも多くて「切株上等」な自分は問題ないけど、お笑い好きな女子(よく分かんないけど...)などはドン引きすること間違い無し。


(さらに)かと、思ったらそれまでに一言も話さなかった板尾が突然口を開くんだけど、ここがもう訳が分からない。とりあえず「シュール」という言葉で逃げさせてもらうが、とにかく混乱してしまった。


物語はこうして最後の舞台へと移り、これまでの謎が明かされてこのままの流れで終わるのか?と見せかけて、最後の最後に意外な大オチが待っている。ほとんどの人がここで「えー?」と思うはず。私も思った。今までやっていたことは何だったのよ?と。


もしかしたら板尾はこんな風に観客を混乱させたかったのかもしれない。筋書き自体は極めてシンプルでありながら、ジャンルで括られることをひたすら拒否するような姿勢は板尾監督の個性ともいえるけど、諸手を上げて「傑作!」とまでは思えなかったのも事実。次回作に期待します。


(その他)
・吉本の芸人さんが大勢出ていますが、ちょっとうざかった。芸人にピンポイントで意外な役を演じさせるのはいいと思うけど、あれじゃあ学芸会だよ。
・エンディングテーマはテイ・トーワ兄さんでした(まだ吉本所属なんだっけ?)。
・看守長國村隼がクリスチャンであることと、板尾が黙って暴力を受け続けることから、キリストをモチーフとしてるのかなぁと思われたけど、それであのオチかい!
・主人公の名前が「鈴木雅之」って...。