『トイ・ストーリー』誕生秘話 - 『メイキング・オブ・ピクサー - 創造力をつくった人々』

メイキング・オブ・ピクサー―創造力をつくった人々

メイキング・オブ・ピクサー―創造力をつくった人々


多くの人がピクサーとディズニーが協力して95年に『トイ・ストーリー』という傑作が生まれたと思っているだろうが、現実にはそんなに単純な話ではない。


ということで今回は『メイキング・オブ・ピクサー - 創造力をつくった人々』から『トイ・ストーリー』誕生までの話を紹介。この本は400ページほどで結構分厚いんだけど、『トイ・ストーリー』の話が出てくるのがちょうど中間くらいで、それまでのほとんど報われなかった初期のピクサージョン・ラセターの話が非常に面白いのでオススメ。


まずスティーブ・ジョブズの話から。当時のジョブズはアップルを追い出されほとんど「一発屋」「変人」の烙印を押されていたが、技術力に目をつけ86年にルーカス・フィルムからピクサーを買収した。しかし彼はアニメーション制作にはまったく興味がなく、あくまでも革新的なハード、ソフトウェアの開発と販売をピクサーに託していて、それによって復活を企てていた。


対してジョン・ラセターを中心としたピクサースタッフは3D技術はあくまでも道具としてしか認識しておらず、やりたいことは一環して「長編アニメを作る」であった。そこで、「長編アニメへの練習」としていくつかの短編CG作品を発表し、それなりの評価を得るが、ジョブズに対してはあくまでも「ハード、ソフトを宣伝するためのもの」と言い訳(?)しながら試行錯誤を続けていた。


その結果、ジョブズは5000万ドル(!)という大金をかけて投資したにもかかわらず、ピクサーは1度も黒字にはならなかった。さすがのジョブズもしびれを切らし、ピクサーの売却を検討したという(その相手にはマイクロソフト社も含まれていた)。ジョブズピクサーの関係は限界に来ていた。


そのタイミングで長編アニメ製作を持ちかけたのがディズニーだった。ピクサーは長年ディズニーに対してアプローチをかけていたがほとんど無視されていたので、ピクサーにとっては渡りに船だったが、同時にディズニーとの確執もあった。ラセターを含め元ディズニーのアニメーターだった人間が複数いたので、自分の首を切った会社と提携して働くことに違和感を感じていたのだ。


ディズニー側が提示した契約内容はピクサーには圧倒的に不利なものだった。ディズニーが気に入らなければいつでも制作は中止にできたし、よほどの大ヒットをしない限りはピクサー側に利益はなかった。しかもピクサースタッフはこれまで10分程度の短編しか作ったことがなく長編を作ったことすらなかった。


ピクサーは短編『ティン・トイ』のアイデア(オモチャが実際には意志を持っている)を膨らませることで『トイ・ストーリー』の原案を作ることにした。




当初のストーリーはこんな感じだったという。

ラセター、アンドリュー・スタントン、ピート・ドクターが起草した『トイ・ストーリー』の最初の台本は、最終的に完成した映画とはまったく違っていた。『ティン・トイ』の一人楽団ティニーと腹話術師のダミー人形(ただ「ダミー」としか書かれていなかった)がコンビを組んで壮大な冒険の旅に出る。オークション行きのトラックの荷台に始まり、ゴミ運搬車、ヤードセール、夫婦者の家を経て、最後に幼稚園の園庭にたどり着く。『トイ・ストーリー』の核となるアイデアは、最初の台本からそこにあった。
『メイキング・オブ・ピクサー - 創造力をつくった人々』より


「ゴミ運搬車」「ヤードセール」「幼稚園」といった後に『2』、『3』で使われることになったアイデアがすでにこの時にあったことに驚かされる。本には書いてないが『3』のリー・アンクリッチ監督によると、『3』に登場する「ロッツォ・ハグベア」も『1』制作時に生み出された没キャラらしい。


話を『1』前に戻そう。ピクサーとディズニーとの確執は続き、一時的に制作が中止されたこともあった。またジョブズも当初は『トイ・ストーリー』が成功するとはまったく考えておらず売却の話は消えていなかった。加えて既存のオモチャとして「バービー」を登場させるためにマテル社に許可を求めたがあっさり断られた(後に『2』でバービーが登場し、その結果売り上げが上がったことで『3』にケンが登場することとなる)。


さらに今となっては信じられないが、どの玩具メーカーもキャラクター商品を作ろうとしなかった。最終的にシンクウェイ・トイズという無名のメーカーが手をあげたがとにかく誰もこの映画に期待はしていなかった(シンクウェイ・トイズに対してラセターは「シドの部屋のミュータント玩具も商品化して欲しい」とせがんで断られている→後に商品化された)。


しかし『トイ・ストーリー』の可能性に気がついた人物がいた。それは他でもないジョブズだった。彼は『トイ・ストーリー』が成功すると確信し、映画公開直後にピクサーを上場すると宣言したのだ。財務顧問は大慌てで止めた。これまで一度も利益を計上していない会社の株式を公開するという事例はなく、異例中の異例だった。しかしジョブズは断固として譲らなかった。彼は『トイ・ストーリー』に自身の復活をかけて大ばくちをしたのだ。


こうして運命の95年11月(アメリカでの公開日)がやってきた。この映画が興行的に失敗すると、ピクサージョブズも今度こそ終わりだった。結果はご存知の通りで、『トイ・ストーリー』は大ヒットしピクサーは長年の夢だったCG長編アニメを作り上げ多くの名声を得たし、ジョブズも莫大な収益を手に入れ復活することになった。


もしも『トイ・ストーリー』がヒットしなかったら、続くピクサー作品も、iPodiPhoneだって世には出なかったかもしれない。ディズニーはアニメ部門を閉じてキャラクター・ビジネスに専念していたかもしれない。


しかし全てが安泰というわけではなかった。


その後『トイ・ストーリー2』が続編としては異例の大ヒットを飛ばすことになるが、ピクサーとディズニーの関係はあまり良くなかった。ピクサーがディズニーを離れること自体は可能だったが1つ問題があった。契約上、ディズニーはピクサーとは関係なく続編を作る権利を所有していたのだ。


この頃のディズニーが作るアニメーション映画はまったくヒットしなかったが、『アラジン』や『シンデレラ』の安易な続編をDVD販売することでそれなりの利益を得ていた。契約が終了することで、ディズニーがピクサー抜きで『トイ・ストーリー3』を作る可能性は多いにあった。ジョン・ラセターは心血注いで生み出したキャラクター達が心のこもっていない作品になって世に出ることに動揺した。私も含めた世界中のファンも同じ気持ちだったはずだ。


最終的にはディズニーがピクサーを買収し、ラセターがクリエイティブ部門の最高責任者となることで、ディズニー版『トイ・ストーリー3』は作られることがなかった。そして改めてピクサーが「本当に作りたかった続編かつ完結編」としてさらに心血注いで作り上げたのが今公開中の『トイ・ストーリー3』なのだ。これを劇場で観ないなんてありえないでしょ?


(関連)
「かいじゅうたちのいるところ」とジョン・ラセターとスパイク・ジョーンズ - THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE