マンチェスター、償うべきことが多すぎる-『おぞましい二人』

おぞましい二人

おぞましい二人


図書館で借りました。


エドワード・ゴーリーの本を読むのはこれで二冊目。最初はオランダの友人がプレゼントしてくれた『ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで』(の英語版)。


ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで

ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで


AからZまで26人のこども達の様々な死に方がイラストと共に描かれている絵本。


↓最初はこんな感じ。

A is for AMY who fell down the stairs
Aはエイミー かいだんおちた


こんな感じでZまで続く、ただそれだけの内容。恐ろしい内容ではあるんだけど、上品なブラック・ジョークという感じで結構気に入っていた。


それっきりゴーリーのことは忘れていたんだけど、先日たまたま図書館で『おぞましい二人』を見つけて軽い気持ちで借りてみたら、これがかなりの問題作だった。


孤独な男女が出会って結婚する。彼らは人里離れた家に住み、ある日を境にこどもを誘拐し拷問して殺すようになる。数年に渡って殺人を繰り返すがやがて逮捕。精神異常と診断され離ればなれになった2人は病院(刑務所?)で死ぬ。


『ギャシュリークラム〜』を読んでいてゴーリーのブラックな作風には慣れていたつもりだったけど、それでもかなり衝撃的だった。もちろん拷問の場面を直接描いてるわけではないんだけど、あまりの救いのなさにしばらくぼーっとしてしまったくらい。


あとがきの解説によれば、ゴーリーが一番力を入れたのは初めての殺人を犯した翌日の朝食のメニューらしい。

二人は食卓について、コーンフレークと糖蜜、カブのサンドイッチ、合成グレープソーダの朝食をとった。


殺しの場面自体はなくても、こういう何気ない日常の表現がもの凄く恐ろしい。この本は発売当時かなり非難され返本の山ができたらしい。



実はこの絵本は実際に起きた殺人事件を元に描かれている。

1965年に明るみに出た「ムーアズ殺人事件」。イギリスで二人の男女が4年にわたり5人の子供を残虐に殺して荒野(ムーア)に埋めていた事実が明らかとなった。「もう何年も本の中で子供たちを殺してきた」と自ら言うエドワード・ゴーリーが、この現実に起きた悲惨な事件によって心底動揺させられ、描いたのが本書である。


実際の事件についてはこちらが詳しい。

殺人博物館〜ブレイディー&ヒンドレー


↓ブレイディー&ヒンドレー


あくまでもモデルになっただけで、実際の事件とは異なる部分も多い。絵本での二人は地味で目立たない性格だったが、実際はナチスやサドが好きでニーチェの超人思想に感化されたイアン・ブレイディーと、そんなイアンを崇拝したマイラ・ヒンドレーというカップルだった。また絵本では二人とも死ぬが、本が発売された時点ではイアンは獄中で生きていた(今も生きてるはず)。


この事件はイギリスではかなり有名で、スミスの1stに収められた『SUFFER LITTLE CHILDREN』はこの事件について歌ったものだ。歌詞に被害者と加害者の実名が出てることで、一時的にこのアルバムは発禁騒ぎになっている。



↓ちょっと長いけど全歌詞引用。

僕を連れて行って

あの荒野を超え あの荒れ地へと

そして浅めの墓を掘って

その中に横たわるから

レズリー・アン 真っ白なビーズ可愛いよ

ああジョン 君が大人になる日はやってこない

そしておうちに帰ることも二度とないんだ

ああマンチェスター 償うべきことが多すぎる

エドワード このうっとりするような明かりをごらんよ

これが君にとって最後の夜さ

「息子が死んでしまったことは承知しています。あの子のあの無垢な額をこの手で撫でることはもう二度とないなんて…」

女は言った

ヒンドリーが目覚め ヒンドリーが言う

「あの子供はどこかへ行ってしまった。私はあの子と一緒だよ」

けれども荒野にはライラックが咲き乱れ

その無感動な死臭を隠すことはできない

ヒンドリーが目覚め ヒンドリーが言う

「あの子が何をしようと私も一緒にやったよ」

けれどもこれはお気楽な旅じゃない

幼い子は泣き叫ぶ

「僕を見つけて 僕を捜して…

この陰気な霧の立ち込める荒地に僕たちはいる。死んでしまっているかもしれない。もうこの世にはいないのかもしれない。だけど僕たちはここにいいる。あなたのすぐ隣に。あなたが死ぬその日まで。これは楽な旅じゃない。もしも笑ったなら僕たちの霊はとり憑くよ。そう僕たちは団結しているんだ。あなたは眠りたければ眠ればいいさ。だけど絶対に夢を見ることはないんだ」

ああマンチェスター 償うべきことが多すぎる

ああマンチェスター 償うべきことが多すぎる

荒野の向こう 荒れ地に僕はいる

あの子供はこの荒れ果てた大地にいるんだ

The Smiths-Suffer Little Children(日本語訳:小林政美)

2009-03-08 - このページを読む者に永遠の呪いあれ

話はゴーリーに戻る。


ゴーリーは「私がどうしても描かずにいられなかったのはこの本だけだ」と述べている。彼は自著に対して一切解説をせず全ての解釈を読者に委ねるタイプだったので、どうしてこの本を描いたのか?何を表現したかったのか?は謎のままだ。


私は「世の中には想像もできない恐ろしいことが起こりえて、それを止めることはできない」という風に解釈している。この二人がやったことはもちろん認めないが、彼らは「こうせざるを得なかった」んだと思うし、他に選択肢はなかったのだ。その理由とか意味とかは彼ら自身にしか分からないし分かりたくもないが、ゴーリーは彼らの気持ちになりきってこの本を描いたと思われる。


ゴーリーは他にもたくさん本を出していて日本語化されたものも多い。これから順番に図書館で借りる予定。楽しみ。


(追記)
改めて表紙を見たら、こども時代の二人の間にいるのが大人になった二人の半身なんだよね。これは二人揃って初めて一人になったとも解釈できるのかなー。そしてその下に転がってる袋には何が詰まっているのか...。



エドワード・ゴーリーの世界

エドワード・ゴーリーの世界

Smiths

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