「MW」が心配だ

手塚治虫「MW」映画化-THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE

それ無くなったらダメじゃん!-くりごはんが嫌い


「日テレの社員が映画監督」「同性愛描写はなくアクションを多用したエンターテインメント」という残念な話題しか聞こえてこなかった「MW」がもうすぐ公開になりますが、eiga.comのレビューが出ました。

作品の命ともいえる、サスペンスとしての緊迫感が途切れてしまった。その流れは本筋に入ってからも変わらず、メリハリのない展開がただ続いていく……。
だが、結城を演じる玉木宏は妙に艶っぽく、美しきダークヒーローをモノにし、見事に新境地を開拓している。これで同性愛描写など、原作と同じビザール感を色濃く描けば、それはそれで評価ができただけに悔やまれる。かといって、“玉木版「太陽を盗んだ男」”として観るには、やはり空回りが続く演出が厳しすぎる。
(中略)
“早すぎた原作”の映画化として観るのは不可能だけに、玉木のプロモーションビデオとして観るのがいいだろう。

MW ムウ : 映画評論・批評 - 映画.com


「玉木のプロモーションビデオ」って...。やっぱりダメなのかなぁ。もちろん自分の目で見るまでは判断できないんだけど。


ここにきて初めてオフィシャルサイトを見た。

本作は、事件によって地獄を背負うことになった一人の男が、犯罪に手を染めながら国家に立ち向かい、逆説的に正義・生きることの尊さを問いただす。(INTRODUCTIONより)


とか書いてあったんで、びっくりした。これって玉木演じる結城のコトなんだよね?


「MW」原作における結城の魅力は(とある事情で)モラルが欠落していることなんだよ。だから女子供でも容赦なく殺すし後悔することもない。結城が殺戮を繰り返す理由は一見「事件を葬った国家に対する復讐」にも見えるけど、それはきっかけに過ぎなくて「どーせ死ぬんだったら、世界中の人間を巻き添えにしちゃえ」という極めて子供っぽい理屈から生まれた妄想に過ぎない。結城にはそもそも「正義」や「生きることの尊さ」という概念がない。


そんな「人でなし」の結城でも愛する人間がいてそれが賀来神父だ。「くりごはんが嫌い」では結城のことを「『ダークナイト』のジョーカーのよう」と書いてたけど、神に仕える身でありながら結城を愛し、彼を救うために犯罪に加担し善と悪の葛藤を繰り返す賀来はジョーカーを殺せずにウジウジ悩むバットマンのようでもある。


映画化するにあたって監督独自の解釈というのはつきものなんだろうけど、その結果できたのが「玉木のプロモーションビデオ」なんて悲し過ぎる。実際に見たレビューはまた改めて。