「隣の家の少女」について

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)


深町さんのトコロで「隣の家の少女」の公開を求めるエントリが立った。

さて今回公開してほしいと訴えたいのは「隣の家の少女 The Girl Next Door」だ。人間の暗部や狂気を抉り出して、読者をどん底につきおとす極悪作家ジャック・ケッチャムの代表作である。
物語は50年代の古きよきアメリカの田舎町。スタンド・バイ・ミー風のノスタルジーをまじえながら展開されるのは、むごたらしい虐待と吐気を催すような人間の暗部に迫る最凶最悪の物語である。

公開しろ! 「隣の家の少女」を公開しろ! - 深町秋生のベテラン日記


私自身はいわゆる切株映画の類は大好きで、ちょっとやそっとの残酷描写では動じませんよ、という自信がある。「ハンニバル」のラストにすごい残酷描写があると聞いて喜んで観に行ったが、肝心のシーンが終わった後も「すごい残酷描写はまだかな?」と思ってワクワクしながら待っていた男である(アホ)。

そんな私がケッチャムの小説を読んでみた。まずは「オフシーズン」。続いて続編の「襲撃者の夜」。どちらもハードゴアなホラー小説として楽しく読んだ。ケッチャムすげーなーと思いつつ、続いて手にしたのがこの「隣の家の少女」。


生まれて初めて「怖くてこれ以上読めない」と思った。完全敗北。白旗。

あーヘタレだよ、ヘタレって指差して笑ってもいいよ。


深町さんが書かれていた「50年代の古きよきアメリカの田舎町」の背後におぞましい闇が広がっていた、という導入部分は気に入ったけれど、その闇が少しずつ見えて来た時、胃がキリキリ痛くなってもうダメだった。自分の中で「これ以上読むと大変なことになる」とアラートが鳴った。結局半分も読めなかったと思う。

ブルー・ベルベット」でも「平和そうな町の背後にある闇」を表現していた。ただあの闇は狂ってはいたけど決して居心地は悪くなかった。だけど「隣の家の少女」の闇はそういうレベルではなくて、もっとどす黒くてそのくせ日常と地続きになっていた。あの闇を覗くと帰って来れない気がした。


「じゃあ読まなきゃいいじゃん」と言われそうだけど、そんなに単純な話ではなくて実を言うと読みたいのだ。読んで絶望を噛みしめたいのだ。人がなぜ小説を読んだり、映画を見たりするのかと言うと究極の目的は「心を動かされたい」からなのだと思ってる。それがいい話であっても悲惨な話であってもどっちでもいい。ベクトルの向きは関係なくて大きければ大きい程いい。だからこそ「ミスト」は素晴らしかった。二度と見たくはないけど。

そういえば「隣の家の少女」もスティーヴン・キングが絶賛してるんだよね...。本当にこの親父だけは...。


そんなわけで「映画版隣の家の少女」は当然ながら見てないんだけど、噂によれば「原作に忠実に」作られてるらしい(泣)。公開運動には賛同したいのですが、公開された場合も見る事はできないかもしれません。トホホ。